三笠会館ものがたり
EPISODE
01
「創業100周年の朝に」

2025年6月5日。三笠会館は、銀座の地に創業して100年という節目を迎えた。
その朝、並木通りのリンデンの若葉を見上げながら、社長の谷辰哉は、数日前に開催された記念パーティーの光景を思い出していた。帝国ホテルに全従業員が集まり、笑顔があふれたひととき。
創業者である曾祖父の谷善之丞が思い描いた未来に、少しは近づけたのではないか——
そんな想いが胸をよぎり、善之丞が遺した著書や日記をひもとき、三笠会館の“はじまり”に思いを馳せた。

現在の銀座・並木通りのリンデン
故郷奈良から東京への旅立ち
谷善之丞は、奈良の吉野から逃げるように東京に出てきた。ほとんど知り合いもいない東京に不安がないわけではないが、持ち前の明るさと旺盛な好奇心が胸を高鳴らせていた。
そして、善之丞は、今までのことを振り返っていた。
善之丞は、明治32年(1899年)7月1日、吉野杉で有名な東吉野村の村長の長男として生まれた。
尋常小学校卒業後、父の寅吉に「勉学より人徳が大事」と言われ、曹洞宗のお寺に修行に出された。そこで漢文やお経を習い、食事のお給仕をしていたが、この修行の中で培ってきたことが、
後の商売の原点になったことを、善之丞自身はまだ気づいていなかった。
19歳の春に、お寺の修行から家に戻り、林業の仕事を始めた。そして、慈悲深かった母の遺言と
親戚の勧めで、隣村の東平友野と祝言を上げた。
その頃は、第一次世界大戦による好景気で日本中が沸き、材木の値段もあがり、商売は活況で、
善之丞も大成功を収めていた。
大正12(1923)年9月1日の関東大震災で、
一時的に材木が暴騰したが、たちまち暴落し、
善之丞は得意の絶頂から失意のどん底に落ち、大きな失敗の中で考えた。
「天然資源を扱い、投機的な駆け引きの多い商売は、私には向かん。それに、因襲にがんじがらめの田舎の生活ももう嫌だ。この村にいる限り、材木とも田舎とも縁を切れん。」
秘かに、故郷を出る機会を待った。まずは、材木の市場調査という名目で上京した。
震災後の東京は、白いトタン屋根のバラックと、焼け残った真っ黒なビルが点在する焼け野原
だった。だが、善之丞は「よし、東京に出てくるのは今だ」と興奮していた。
一度、吉野には戻ったが、善之丞には東京へ行く決意は固かった。東京の情報を手にいれるため、新聞店と半年契約を結び、東京版を郵送で取り寄せるなど、着々と準備を進めていた。

大正13年7月の朝、善之丞は東京に向かう列車に乗った。
故郷では「谷善之丞は村一番の親不孝もの」と、修身の教材になっていると聞き、善之丞は憤慨し、「成功して故郷に錦を飾ってやる」と、改めて心に誓ったのだった。
