三笠会館ものがたり
EPISODE
04
「どん底からの覚醒」
「チキングリル 三笠」 オープン当時の様子
事業は人である
善之丞にとって父の死は辛く、しばらく食事も喉を通らなかった。
「命あるものはいつか必ず死ぬ」という道理さえ揺らぎ、己の弱さを思い知る。
しかし、「商売を成功させることこそ父の供養だ」 と思い立った瞬間、再びがむしゃらに働き始めた。
店員は30名近くに増え、小さな店は一挙に拡大した。
そうなると、新たな問題も出てくる。
「事業は人である」という名言があるように、善之丞も店員については喜びもあり、悩みもあった。
善之丞が頭を抱えるような店員も少なくなかった。
一方で、商売熱心で信用できる者もいて、経験が浅くとも支配人に抜擢することもあった。
友野は日々の働きぶりを細やかに観察し、善之丞は友野の意見に耳を傾けながら人事を決めた。
二人は、店員が成長していく姿を見守りながら、改めて、人の大切さを実感するのだった。
好 事 魔 多し
ある日、経営難の食堂を引き継がないかと声が掛かった。銀座一丁目の停留所前、立地は申し分ない。
しかし店内は荒れ放題。ひどい寂れようだった。
大改造が必要で、下手をすればあっという間に破産しかねない。
そこへ出資を申し出てくれる人もあり、「俺はなんて運がいいんだ」と有頂天になって引き受け、華々しく開店披露もした。
「この店は鶏料理専門店にしよう。何から何まで鶏ずくめ。日本料理、西洋料理、中華料理の鶏料理で人気をとる」
善之丞は張り切っていた。
ところが、店を開けてみると思っていた半分もお客様が入らない。
この店に力を入れていたからか、肝心の本店も人気が落ちてきて、善之丞を窮地に追い込んでいく。
金策に走るも、どれもうまくいかない。
米屋、肉屋、八百屋への支払いも滞り、店員も次第に辞め始めた。

「チキングリル三笠」の外観
絶体絶命
善之丞は追い詰められ、眠れない日が続いた。
友野は着物を質屋に入れてお金を工面し、細々と商売は続けていた。
だが、秋の初めころから、善之丞は神経衰弱がひどくなり、うつうつたる日を過ごしていた。
11月に入ると、死を決行するより外に道はないと思い続けるようになっていた。家族を置いてはいけない、無理心中しようか。と何度も脳裏をよぎったが、妻子の寝顔を見ると気持ちがゆらぐ。
善之丞は、若い時に修行した坐禅を思い出し、家族が寝静まると、ひたすら坐禅を続けた。坐禅をしている時だけは少しばかり気休めになっていた。
だが、年内には、何とかしなければと思いつめるばかりだった。
起死回生
絶望の日々を過ごしていた12月半ばのある深夜。善之丞は、その夜も坐禅をくんでいた。
静けさの中で、かすかに荷車の輪立の音が聞こえていた。聞くともなく聞いているうちに、善之丞の頭の中で、何かひらめいたものがあった。
すると、なぜか長いため息が全身からもれ、緊張がとけて無性に眠くなり、その夜は半年ぶりにゆっくり眠りについた。
翌朝、目覚めると、真冬の太陽の日差しが差し込み、全身に闘志がみなぎっていた。
一体どうしたことか。
「あの真夜中に車を引いて生きている人がいる。世間は動いている。店を潰したくらいで死んでよいのか。ならば死ぬ気で生きよう。」
そんな思いが駆け抜け、全身に熱いものが込み上げてきた。善之丞の目には、感激の涙があふれていた。
このときから、善之丞は「禅」とともにある人生を踏み出した。
後年、禅を商いに活かすという視点で何冊もの著書を記すことになる。
(善之丞は著書で「坐禅」を用いているので、「三笠会館ものがたり」においても「坐禅」で表記しています。)

谷善之丞 坐禅
三笠会館の情報誌『るんびにい』46号 挿絵より
