三笠会館ものがたり
EPISODE
12
「灯を受け継ぐ」

50周年記念で発行された
るんびに特別号「五十年のあゆみ」
喜寿を前にして
1976(昭和51)年の新年、善之丞の気持ちは晴れやかだった。
三笠会館開店50年、そして7月に善之丞、友野の喜寿を迎えるという、おめでたいことが重なる年だった。善之丞は目と足に不自由さを感じていたが、味噌仕立ての雑煮で新年を祝い、いつものように坐禅をしたり、社内報『るんびに』に寄稿する文章を添削したりしていた。
善之丞は、孫の善樹と琢雄の活躍を見守りながら、新しい風が吹き始めていることを感じ、仕事は専務になった善樹や他の役員、従業員に任せようと決めた。
その頃、鹿児島の方から熱心なお誘いがあり、講演をすることになった。ひとり歩きは止められていたため、次女の瑞江を供にする旅に善之丞の心が弾む。「常念必現」と題した講演は、善之丞の身振り手振りを入れた話で会場を沸かせ、拍手喝さいだった。
善之丞は「これからは、声がかかる所に瑞江と一緒に行脚しよう」と嬉しそうだったが、宿に戻るとすぐに横になってしまう。瑞江は、丸太のようにむくんだ足を揉んでは「また行きましょう。お供しますよ」と話しかけ、善之丞も、次の機会を楽しみにしていた。
しかし、この行脚の旅は最初で最後になってしまった。
伝統は創るもの
旅から約一ヶ月半後、あと2ヶ月で喜寿のお祝いを迎える1976(昭和51)年5月1日、善之丞は永眠した。
三笠会館の創業者であり指導者であった善之丞の死の悲しみは深く、家族も従業員も信じられない気持ちだった。
しかし、この大きな出来事を感じさせることなく、お客様にはいつもと同じようにお食事を楽しんでいただくことが何よりの供養になると、心をひとつにして働いた。
5月22日の本葬は、連日の雨があがり樹々の若葉が輝く暖かい日だった。弔問客の長い列は、善之丞を支え、そして善之丞が支えた人たちだった。一緒に歩んできた友野は手を合わせるばかりだったが、最期の別れの時「おとうさん、これを持っていきなさい」と、善之丞の手に警策を握らせた。
善樹は、折に触れ聞かされた善之丞の言葉を思い返していた。
「伝統は守るものでなく、創るものだ」
そして「社長が代わってうまくゆかないのは本物でない。それは組織が出来ていないからだ」と。
共に歩んだ道の果てに
善之丞と共に、三笠会館を作り育てた友野が二代目の新社長となった。
夫を失った悲しみを押し隠し、友野の姿勢には凛とした静けさがあり、皆の前ではいつも微笑んでいた。
その友野の姿を見て、善樹は、創業者が創った組織、育てた人材を受け継ぎ、創業者の思いを、新社長となった友野と共に実現していくことを悲しみの中で決意した。 友野も、夫 善之丞から継承した三笠会館のために、苦労して培ってきたことを経営に活かそうとしていた。
しかし、喜寿の誕生日を迎える前日、善之丞の後を追うかように息を引き取った。
善之丞、友野、ともに76歳だった。 家族も従業員も、善之丞を見送った悲しみが癒えないままに、友野まで失ってしまったことに言葉もなかった。
しかし、無鉄砲で人情味に厚く涙もろい善之丞を、常に支え励ました、しっかり者で慈愛に満ちた友野が善之丞の傍にいることが、ふたりにとっては幸せなのかもしれないと冥福を祈った。

1966年ごろに撮影された善之丞と友野

友野が二代目社長に就任した際の社内報「るんびに」
三代目の誕生
創業者 善之丞、二代目社長 友野を失い、既に両親も失っていた善樹が三代目を継いだ。
10月に、同業者や取引先をはじめ交友関係の方々を招き、新社長就任披露パーティーが開かれた。
若い社長へ寄せる期待や励ましに、善樹は感謝するとともに身が引き締まる思いだった。
善樹は、創業者が大切にしてきた「信念をもって経営にあたる」ことを掲げ、創業の精神を守ること、教育をより充実させること、高水準の企業を目指すことを目標とすると決意を語った。
こうして、三笠会館にとって激動の一年が終わった。

昭和52年ごろの社内報「るんびに」に掲載されていた谷善樹
雨の日の祝宴
翌年1977(昭和52)年、一年遅れの創業50周年記念のパーティーが開催された。
9月13日、創業50周年記念式典が大手町の農協ホールで行われ、約400名の方々をお招きし盛大な祝辞をいただいた。
善樹は、善之丞と友野がこの日を迎えることを楽しみにしていたことだろう。一緒に祝いたかったと残念に思った。そして、改めて、ふたりから受け継いだものの大きさ重さを受け止めたのだった。
そして、9月19日、全店を休業し、中央区民会館で社内の祝賀会を行った。善樹は「あいにくの雨だが、今までもこれからも好天の日ばかりとは限らない。どのような日でも、創業の精神と共に歩み続けることが私の使命だ」と、従業員たちの笑顔を胸に刻み、新たな一歩を踏み出した。

